2014年11月20日木曜日

【仮説】11月23日に隠された秘密 新嘗祭=クリスマス!?

11月23日は、勤労感謝の日です。
ですが11月23日は、戦前は新嘗祭の日でした。
神嘗祭とは、その年初穂を天照大神に奉納するものです。

このまま11月23日で解釈すると
「収穫祭」の意味合いが大きくなります。

しかし、
代々受け継がれてきた新嘗祭は、
旧暦の11月の2回目の卯の日 に行われていたのです。

今の暦で言うとおおよそ12月25日ごろになると言われています。

つまりこの、新嘗祭は元々
冬至祭の意味合いを持っていたのではないかと考えられます。


それは、明治6年のこと。
それまでは、旧暦、いわゆる太陰太陽暦(天保壬寅暦)を使っていました。
それを、現在の太陽暦(グレゴリウス暦)に変更をしました。
本来 新嘗祭は、太陰太陽暦の11月の第二卯の日と決まっていったのですが
太陽暦に合わせたために冬至とは、約1ヶ月ほどずれてしまったのです。

ちなみに、
この明治政府が暦を変更した理由と言うのが、ズバリ「財政難」だったのです。
お金がないから、太陰太陽暦から太陽暦に改暦したのです(驚)

→詳しくは 【仮説】11月23日に隠された秘密 新嘗祭=クリスマス!?補足のページ

太陰太陽暦は前年の冬至の日を起点に計算して作られる暦なのです。
古代では冬至というのは暦を作るうえで非常に重要な日だったのです。

冬至の日は一年でもっとも太陽の力が弱まる日であり、
冬至の翌日から太陽の力が徐々に戻ってくると考えた。
ここから冬至を境にして新しい年がくるという発想になったのだろうと推測されます。


一年の間で昼が最も短く夜が最も長くなる冬至には、
太陽神が復活すると言う多くの伝説が残されています。
古くは、古代ローマの太陽神ミトラスが復活の日。

イエス・キリスト等も、その流れをくんで誕生祭をに祝うようになったとされている。
(クリスマスはイエス・キリストが生まれた日ではないようです。)
ちなみに冬至を一年の区切りとする考え方は古代では世界各国に共通していたようです。



門松とクリスマスツリー。

どちらも冬至前後に
冬でも枯れることのない常緑樹で門を飾る新年の祭りの
象徴的な飾りだと思われます。

太陽は冬至に死を迎え、復活する。
これは太陽の衰退と復活を象徴的に意味しているのではないかと思われます。

つまるところ、「太陽神信仰」に行きつきます。
日本の太陽神と言えばもちろん「天照大神」です。

新嘗祭には天皇が、新穀を召し上がることで天照大神の霊力を得て
再び勢いを盛り返すという象徴的意味がおそらくあると思われます。

死と復活というと大げですが、
穀物にとっては稲穂が実ることは次世代の誕生であり、
植物にとって代替わりとも言える。そのような側面が強調されると、
大嘗祭の象徴的意味になってくるのではないかと思われます。

冬至とは、太陽の復活であり、太陽の誕生日なのです。
冬至は年によって21日~23日の間で変化します。

今上陛下は、1933年(昭和8年)12月23日、この年の冬至に誕生されました。
この偶然には、ただただ驚くほかにありません。

ちなみに、冬至の儀式としては、
日本では伊勢神宮の内宮へと向かう参道に掛かる宇治橋が、
冬至の朝日が昇る方向を指し示していることが有名です。
冬至の朝、宇治橋では「ご来光」を拝む儀式が行われます。
冬至の朝日の方向には内宮本殿背後のご神体山があり、
そこに祀られる太陽神である天照大御神と本物の太陽が重なり合うのです。

本当に、昔の人ってすごいですよね。



なんしか、カッコいい大人になろう。


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