【仮説】11月23日に隠された秘密 新嘗祭=クリスマス!? の補足ページ


【仮説】11月23日に隠された秘密 新嘗祭=クリスマス!?
の補足ページです。

<今回調べて分かったびっくりの新事実補足>

今上陛下は、1933年(昭和8年)12月23日、この年の冬至に誕生されました。

大正天皇の崩御された日は12月25日(大正15年、1926年)で、
クリスマスの日と同じです。
日本でクリスマスが定着したのは、
大正天皇の崩御がきっかけともいわれている。

・昭和天皇の崩御された日は1月7日(昭和64年、1989年)で、
キリスト教のうち、正教会のクリスマスの日と同じなのである。

この偶然には、驚きました。


明治6年。
明治政府は諸事情により、
太陰太陽暦から現在の太陽暦に改暦した。
このとき本来の新嘗祭は旧暦の11月なので新暦に直せば
12月22日前後のはずですが、
なぜか新暦11月23日を新嘗祭として制定している。
さらに1948年。11月23日は新嘗祭ではなく、
勤労感謝の日として休日に制定された。
という流れがあります。

この明治政府が暦を変更した諸事情と言うのが、
ズバリ「財政難」でした
お金がないから、
太陰太陽暦から太陽暦に改暦したのです。

説明をすると、
旧暦のままでは明治6年は閏月があるため13か月となるはずだった。
このままだと月給制に移行したばかりの官吏への報酬を
1年間に13回支給しなければならない。
これに対して、新暦を導入してしまえば閏月はなくなり12か月分の支給ですむ。
また、明治5年の12月も実質2日しかないので、
11か月分しか給料を支給せずに済ますことができた。
更に新暦導入を機に週休制に変更することで、
休業日を年間50日程度に減らすことができた。
ウルトラC級の妙案によって結果的に明治政府は
2ヶ月分の給料を払わずに済ませることができ、
財政的に助かったのです。
そのくらい、明治維新政府の懐具合というのは
厳しいものだったそうです。

ちなみに、
明治5年(1872年)12月2日の翌日から
太陽暦(グレゴリオ暦)を採用し、
明治6年(1873年)1月1日としました。
そのため、
1872年は12月3日から31日までの
29日間が存在しないという、
奇妙な年になったのです。

その流れで行くと
1872年12月3日は、1873年1月1日となりました。
旧暦の正月はどこに行ったのか?

約1か月後というと・・・
2月11日(建国記念の日)ということになります。
2月11日は春節、つまり旧正月なのです。

本来の春節(旧正月)と数日ずれるのですが。
もちろん、ずれる理由は、
現在の建国記念の日(紀元節)が新暦で固定したためです。

簡単な神話の説明としては、
神武天皇が即位されたのが
旧暦の皇紀元年一月一日(紀元前660年元旦)。
西暦2015年は、皇紀2675年。
神武天皇が奈良に移住して、ようやく落ち着いたので、
ささやかな正月のお祝いをしたました。それが当時のお正月
現代でいう旧正月であり、日本の建国の日とされる日です。



ちなみに「西暦」とは、
イエス・キリストが生まれた年を紀元(はじまり。すなわち西暦1年)としています。
この西暦を考え出したのは、ローマの修道院長、ディオニシウスで、6世紀半ばのことです。
それまでは、日本の元号のように、何皇帝の何年というような呼び方をしていました。
しかし、それでは年数の計算が不便なので、
ディオニシウスは、キリストが生まれた年を紀元とすることにしました。
これが、現在我々が使っている西暦の始まりです。
ちなみに
紀元前=B.C.  Before Christ
紀元後=A.D.  Anno Domini
の略です。
アンノドミニとは、キリスト教で「イエス・キリストが君臨する時代」
キリスト教徒の思考です。
イエスが生まれる以前の暗黒の時代と、
イエス生誕以後の至福の時代ということでしょうか。