2017年8月3日木曜日

【読書】1万円する本を買って読んでみた。



「1万円の本」
と聞いてどう思いますか。


高い?とれとも安い?

それを判断するのは中身だと思いますよね?

仮に、中身が良かったとして1冊の書籍に1万円を出せますか?

清水の舞台から飛び降りる覚悟で買いました。


それは、無能唱元さんの書いた
人蕩し術 (ひとたらしじゅつ)
という本です。


そして、読書後の感想ですが
買ってよかったと非常に思います。

決して、学校では教えてくれない
人の魅力というとても人生において重要なテーマを学べたことは、
本当に良かったと思います。
「俺の魅力によってみんなはついてきてくれている」なんて
思い上がりも甚だしいと理解できましたし、
「すべてはギブ・アンド・テイク」なんだと理解できました。

本書の一番の重要なポイントは
「魅は与によって生じ、求によって滅す」
言葉にすると簡単ですが、
この本を2~3度読んで、真意をきちんと理解する必要があります。

(いつものように自分のために残しておきます、
本当は全文載せないといけないくらいこの本は重要な箇所ばかりです~)




人間には二つの才能がある。

一つの才能とは、普通に言われている
「才覚能力」のこと、つまり才能です。
もう一つの才能とは、要するに「誠実」であることです。
そして、「他人のために尽くす」こと。
第一の才能に対して抱く人々の気持ちは「羨望」であり、
第二の才能に対して抱く人々の気持ちは「人望」でしょう。
前者はとかく「羨む→恨み」に転じやすく、
マイナス感情がつきまといやすいのです。



真の魅力はリラックスの中にあるものである。
リラックスの中にある魅力とは、
その人の外部的な特質ではなく、
主として、内部的なその人の心の働きによって、
外へそれがにじみ出てくるものでありましょう。
内面的魅力は、自己コントロールという人力をもって、
どのような人でも身につけることができることなのです。



《人蕩の極意》
魅は
与によって生じ
求によって滅す

与えればよい。
答えは、恐ろしく単純です。


あなたが他人に何かを与えれば、
あなたに「魅きつける力」は、生じ、
あなたが他人から何かを取ろうとすれば、
その力は即座に消えてしまうのです。


「物を与える」場合の秀吉の人蕩しは、
戦さで功のあったものに対する恩賞のやり方でも
その天才ぶりを発揮しています。
秀吉は恩賞はできるだけ戦が終わったその場でおこなうようにし、
特にめざましい戦功に対しては合戦の最中でさえ部下を走らせて、
その場で行賞しました。


群居衝動がうまく充足されない、
という主原因は、
実にこの自己重要感がうまく充足されていない、
という点に密接な関係があり、
多くの場合、それは他人のけなしや自慢、
つまり他人の異常な自己表現欲の被害を
受けてそうなるのではなく、
自分の内にある自己重要感をうまく表現できず、
あるいは表現しても他人を不愉快にしたり、怒らせてしまい、
自己嫌悪から、さらに深い劣等感に陥ってしまいます。
そして、本人は、この不幸感が
どこから生じてくるのか見当もつかないことが多いのです。
それが自分自身のせいでそうなったとは気づかず、
世間の人々が自分に対して
不当に冷酷であるように感ずるのです。



生命活動とはどういうことか。
それは「自然発生した緊張」と、
その緊張をゆるめるための
「人為的な弛緩」の繰り返しに過ぎない。



緊張は一律的に、
放っておいても発生してくるのですが、
この弛緩には二つの方法があるのです。
それは、欲しているものを、
①獲得する
②諦めてしまう
このいずれかの方法によって、
緊張感から開放されるのであります。



「生を営む」という行為は、
「自然的に発生してきた緊張」を、
いかにして「人為的に弛緩に導くか」
ということであるといっても、
決して過言ではありません。



「良く生きている」という状態とは、
この緊張と弛緩のバランスがとれている生活状態だと言えましょう。
そのためには、
どのように自己をコントロールすればよいのでしょうか。
その答えは簡単です。
「時に求め、時に諦めればよい」のです。


「人生における悩みとは何か?」
「弛緩がうまくなされていない状態、
それが悩みと言うものの実体である」
緊張の方は、自然に発生してきます。
ですから大切なのは弛緩の方で、
①努力と才覚で、欲するものを手に入れて緊張を緩ませるか、
②とうてい得がたいことを知り、それを諦めることによって、緊張をゆるめるか、
のいずれかの方法によって、弛緩が得られれば、「悩みは消失する」ことになり、
弛緩が得れなければ「悩みは存続する」ということになるわけです。



「魅力があるためには、悩みがより少なくなければならない」
ということです。
そして、
「悩みがないということは、自己緊張がうまく弛緩されている」
ということであり、
「その弛緩とは、徹頭徹尾、自分自身の力でやるしかない」
ということなのです。



人生における成功の要諦は、魅力にあり、
そしてその魅力を得る最大の秘訣は、
自分にとって有用なる人物の自己重要感を充足させてやり、
もって、彼の自分に対する群居衝動を
より強く喚起せしむるところにこそある。



私たちは、もし、
自分の自己重要感をあらかじめ充足していなければ、
決して、他人の自己重要感を充足することに
手を貸してやれないでしょう。
なぜならば、自分の方のそれを充足するために、
他人の助力を必要とするからです。
その助力とは、相手に対し、尊大になったり、また自慢したりして、
自分の優位を自他ともにおいて確認する行為であります。
そして、このような助力を他人に請うことこそ、
自分から魅力を失わせる最も効果的な方法であることに、
ほとんどの人は気づいていないのです。

どのようにすれば、
この自己重要感を自らの手で充足できるのでしょうか?
その最高の方法は、「
自分の内において、自画自賛を行うこと」にあるのです。

まず、自己重要感を
自分の内で充足させてしまうことが第一に必要である。
言い換えれば、他人の助力を期待することなく
「自分は優れた人間である」「生きる価値のある人間である」
という自己確認を得る、という所業なのです。


自己充足のやり方。
その第一は、
自己の才能を表現し、
世間にそれを認めてもらうことです。


第二は、
他人のために役立つようなことをすることです。



劣等感に悩む人の一大特質は
「自分のことばかり考えている」という点にあります。
それはまた「自己被害意識」となって、
大きな苦痛を自ら製造し、
そして自ら苦しんでいる姿でもあります。


第三の方法は、
「自己暗示」という方法です。



ツキのある人と交わっていると、
ツキが自分の方へもやってくるのです。
ツキのある人と相対した時、
あなたは多弁であるべきではありません。
あなたは、相手からの成功の雰囲気を
自分の身に浸透させるのが目的だから、
できるだけ相手に語らせ、それを拝聴することです。
彼は成功の雰囲気を与えます。
そして、そのお礼として、
あなたは彼に対し、敬意を捧げるのです。
これは、彼の自己充足感を高めることです。



「口に正義を唱え始めた瞬間から、
その人の不幸が始まる」



魅力のある人になろうと思ったら、
是非とも次の言葉を記憶する必要があります。
「人は自分の不正を指摘されることを好まない」
ということです。



人生を明るく楽しく生きている人は、いわば太陽のようなものです。
人々は多く「陽のあたる場所」を求めます。
人蕩しの術の秘訣は、まず「陽気」になるということを、
ぜひとも心得ねばなりません。




まず、自己を愛しなさい。
これこそ、「愛」の秘訣です。



人に好いてもらうために、
人が嫌がることを自分が真っ先やった。
「嫌なことは自分でやれ」
というのがまさに本田宗一郎の人心掌握の基本であり。
リーダーとしての行動哲学であったのでしょう。



深いおもんぱかりとは、
具体的に言えば「相手を尊重する」の一語に尽きます。
小さな約束を守り、いつも笑顔で人に接し、
ぐちを語らず、他人を非難せず、時間を守り、失意の人を勇気づけ、
愛語をもって人を喜ばせ、あなたへの中傷は笑って許す、
とこのような行動や態度がそれです。
これこそ「自分を愛するように、他人を愛する」行為と
いえるのではないでしょうか。



どうすれば、女にモテるかを
花柳界で一生懸命研究した本田宗一郎は
自然と人の心を買う術を学び、それを仕事にいかしたのでしょう。
とくに酒席ではみずからピエロになって座を盛り上げ、
色街で鍛えたその手の話術は抜群におもしろく、
それを聞いた人はどんな人でも笑いころげ、
一瞬でお互いの壁を取っ払って
いっぺんに引きずりこんでしまう絶妙の才があったそうです。



男は女に金を与えて、性欲を充足させようとし、
女は男の性欲を充足させる代わりに、金を得ようとします。
こう言ってしまえば、まことに身もふたもない、
エゲツない話になってしまいますが、
これは最も原始的な真実というものでありましょう。



ナイトクラブのホステスで
売り上げのトップに立つナンバーワンになる秘訣は、
「相手の話に聞き入る」という一点にあるのだというのです。

朝、市に行けば、
大勢の人が集まり、大いに賑わっています。
しかし、夜には、ほとんど人影もありません。
この理由は、人が朝を好むとか、夜を嫌うためではありません。
朝には求める品物があり夜はそれがないからに過ぎません。
それは当然の姿です。自然の成り行きです。
人間関係でも同じことです。金持ちの門には人がむらがり、
貧乏人には交わる人が少ないのが当然の姿です。
人が信用できるか、できないかなどと悩むより
「物に必至あり、事に固然あり」
ということを知ることです。
信ずるといい、信じないというのも、
それはいわば他人に対する甘え意識のあらわれにしか過ぎません。
一切の甘えを捨てて、冷たく人間の姿を見きわめることこそ、
どんな事態にも動じない人間関係を築くことができるのです。



西洋に「あなた自信を豊かにせよ」
という格言があります。
もっと卑俗的に言いましょうか。
「無料では、ものは買えない」のです。
支払いなしに何かを求めようとする人間こそ、
最も魅力のない人間、
つまり、嫌われるタイプとなるのであります。



与えるためには、まず自分が豊かでなければ、
それはできない相談です。



陽気さこそ、
すべての成功には欠かすことのできない
生命力の源泉なのです。

陽気さを身につける法
①笑顔
②あいさつ
③話しかけ



傾聴というものは、
相手の自己重要感を高めるものなのです。



「欲望は求をもって外に露すことなく、願をもって内に温むべし」




相手の都合について考慮しないということは、
相手を尊重していないことであり、
また敬意を持っていないという証明になってしまいます。




「もし、あなたが相手に対し関心を抱かなければ、
相手もあなたに対し関心を抱くことはないでしょう」



好奇心が強いということは若さの証明でもあります。




「秘密のある人には、魅力があります」
何か底知れない人には人の興味を引く雰囲気があるものです。
これに反して、あけすけな人は、好人物であるかも知れませんが、
あまり魅力的とは、いえません。
好奇心が秘密によって増大するように、性欲もそうです。
男の気持ちを捕らえて離さないのは、
女の秘められた妖しい部分であり、またその雰囲気なのです。
秘することを知らない女は、男性に体を与えると、
じきに飽きられてしまいます。
だから性の秘密も常に薄いベールで包んでおかないと、
妖しい魅力が失せてしまうのです。


好奇心に対しては「まず与え、そして惜しむ」のであります。
しかし、この惜しむは、ごくさりげなく、自然であらねばなりません。



「好語説き尽くすべからず」
「好語説き尽くせば、人これ易る」
あまり言葉をつくして理解しやすくすると、
聞いた人はかえってそれを軽視してしまう、
だから適当なところで説明は切り上げなければいけない、
といっているのであります。
わかりやすくいいますと
「諸事あっさり表現せよ」ということにつきるようであります。



友達の耳に「これは秘密よ」とささやくだけで、
何でもない事柄が、とたんに特別な輝きを帯びるのです。



「秘すれば花」



地位、身分、学歴あるいは家系などの「背景」について、
自ら人に語りたがるというのは、
その人の自己重要感の飢えの状態が相当強いことを意味しています。
彼は自己劣等感の苦しみ故に、それを秘してはおけないのです。
この逆に、それを話さなかった人の身分が、
他の理由で知られた時、人々に奥床しい印象を与えるものです。
「能ある鷹は爪を隠す」
ということわざででよく知られていることです。



「およそ代理想像のきかない人間に
人の心が魅きつけられることはない」
ということです。
代理想像とは、相対している人間が、
今、自分をどんな風に感じ、考えているだろうか?
ということを相手の立場に自分の身を置きかえて想像してみることです。
自分に魅力をつけたいと思ったら、
この代理想像を働かすという意識操作に
熟達する必要性が是非ともあるのです。



人蕩しが効かなくなる時
今まであった、その人の魅力が突然失せてしまい、
その人に備わっていた人蕩しの力も消え失せてしまう場合があります。
それは、どういう時でしょう?
それは、その人が人々に、ある失望を与えたことによります。
すなわち、彼が自分の幸運に対して、
甘えの気分を持ちはじめたことによって生じた現象なのです。
甘えであり、また、奢りでもあります。
人生がうまくいっている時、
あなたは彼らに対してわがままになってきました。
それは、世間に対して、
あなたの心の中に「甘え」の気分が生じてきたからなのです。
これぐらいのことなら彼らは、あるいは世間は、
受け入れてくれる筈だ、と考えて、
あなたは無理を通します。
すると、そのたびに世間、あるいは彼らは、
がっかりします。
しかし、その無理をあなたの有する運おの強さの故に押し通されます。
あなたは、たいした心配もせずに、
平気でかつ傲慢にそれを押し通して行きます。
そして、ある日突然、人々への人蕩しが
通用しなくなっていることに気がつくのです。


秀吉も信長の遺志をついで天下を統一したのち、
次第に傲慢さが目立ってきます。
いずれにせよ、この世はすべて、ギブ・アンド・テイクによって
構成されているのだと考えるとわかりやすいでしょう。
彼らはあなたから与えられなくなったものに敏感なだけではなく、
しばしあなたに反感あるいは恨みを抱くのです。
彼らは、あなたに対して冷淡であり無礼であることさえあります。
しかしそれは、
かつてあなたが無関心のうちに彼らに与えたものと
同じかもしれないのです。
すなわち、与えたものは与え返されるのです。
これは結局、あなたの世間に対する甘えが高じた故に、
人蕩しが効かなくなったというわけです。


この世はすべて、「ギブ・アンド・テイク」
で成り立っているということです。
人々は「得を求め、損を少なくする」
ことが自分の行うべき生活行為だと錯覚しているのです。
これは根本的かつ決定的な間違いです。
われわれは人に何かを与えなければ、
決して快く相手から何かを得ることはできないのです。


自慢とは「他人に助けを求めている」ということです。
すなわち、聞いてもらうという助力を必要としているのである。
この求めには支払いが必要である。



本田宗一郎は、
「人間はどこか阿呆なところがある方がいい。
人間は悪い心と良い心の両方持ち合わせている。
両方の心を満たして人間生活ができるので、
良い面だけでは息が止まってしまう。
私は仕事に関してはやかましい。
しかしずいぶんそそっかしく間抜けである。
それで『オヤジ、あんなに威張ったって、あんなところで間が抜けている』
と言ってみんなついてこられる。
仕事はやかましく、お釈迦様みたいに意思強固であったら、
周りはみんな窒息してしまう。
人間としてついてこられなかったらダメだ。
家族だって同じことが言える。
判で押したような人はダメだ。
変化に富んでいるのが人間だ」
と言っています。



この本は、全文載せなきゃいけないなぁってレベルの本ですね。





「悟りとは
さほど
難しものでなし
要は陽気になることと知れ」
(無能 唱元)


なんしか、カッコいい大人になろう。

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